丹下幸平@窃盗犯108号
 
みなーみBlog
 



2005年6月25日を表示

暑い Ⅶ

その日、四万十川沿いにある処刑場に無宿鉄蔵こと以蔵はいた。

南国土佐藩は雲一つ無い快晴であった

土佐勤皇党の仕業の全てを白状してから一週間。
拷問は無かった。最後に鉄棒で殴られて潰れた鼻がまだ痛む。

武市に送られた饅頭に以前、仲間が持っていた自決用のトリカブトの味がした時
拷問に耐えていた、何かがガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
武市がハッキリと「死ね」と言って来たなら死んでやった。
だが、ここへ来て勤皇党党首は饅頭に毒を盛ったのである。

自分の立場は理解しているつもりだった。
以蔵は文字も余り知らないし武市を囲む頭の良い連中とは、根っこで、うちとけられない、はぐれ者。

ただの人殺しだ。少なくともそれを理解は、していたのだ。

馬鹿にされたとか信用が無いのだとか言う気分は驚くほど湧かず。ただ何か楽になった。
そうして拷問が突然、嫌になり、逃れたいと、ただ単純にそう思ったのだ。それで全てを白状した。

暗い牢屋から、引きずり出され籐丸籠で処刑場まで運ばれる最中、以蔵は無心に青い空を
見つめた。その表情は、この後、無宿鉄蔵として獄門に晒される人の顔では無い。

何かに気づいた若者の顔だ、南国の五月の太陽はそんな今から何かが始まる青年を容赦なく焼いた。
警吏のヒソヒソ話を横から聞く所によると少し前
武市が城内で藩主、容堂の目の前で殊更、派手に切腹したそうだ。
何も感じなかった、格好良く行くのはあの人の業だ。

他人事だったんじゃなぁ、ここに来て、そんな事に気づくたぁワシはアホじゃ。

以蔵の座ったムシロの前に罪人の斬られた首を受け止める穴が掘られている。
少し湿っているが白い故郷の土だった。芋ぐらいなら育てられるだろうか?父親と畑を耕した
少年時代を思い出しながら以蔵はそんな事を考えていた。

「鉄蔵、何か言い残す事はあるか?」

あれだけ、しゃべらせといて今更、鉄蔵たぁ中々いい。冗談としては上出来だ。
首切り役人に尋ねられて、穴を見つめて以蔵は考えた。必死に何か言おうと考えた。

「無いのか?」

「ちょっとちょっと待ってくれ」

気の利いた何かを、言いたかった。少ない聞きかじりの知識を精一杯、記憶の棚から引きずり出すが
素っ頓狂な関係の無い芭蕉の俳句ぐらいしか出てこない。第一自分の言葉に成らなかった。

「まだか?」

「後少しだけ・・・頼む」

「うむ」

先に死んで行ったあいつらなら粋な言葉をさらりと考えて言うだろう。
やっちまった事に、今更後悔する気は、見物人が思ってる程は、もっちゃぁいない。
涙がポロポロこぼれ出した、怖いんじゃない、ここで何かが言えない自分が情けないのだ。

顔を上げて、空を見上げた。青い、少し紫がかった故郷の空だ・・・蒼い。

「・・・・・・死にたくねぇ!」

大声で叫んだ。間違いなく何かに気づいた今ここに居る以蔵の言葉だった。
初めて自分の気持ちを晒して
本当に以蔵は何もかも脱ぎ捨てて、わんわん鼻水と涙を垂らしながら泣いた。


空を見つめながら。




首切り役人の白刃が一閃して、鼻水に、まみれた以蔵の首が穴に転がった。


慶応元年五月十日、最後のその日、以蔵はホンの僅かだが確かに生きた。




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6月25日(土)10:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | お題でワンシーン | 管理


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